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いつも思う
絵ってのは生きている絵と死んでいる絵がある
生きている絵と言うのはたとえ一部におかしい場所があったとしても、絵の中のキャラクターに命が宿っていて、何かの拍子に動き出しても不思議がないような、そんな素敵な絵の事である。
逆に死んでいる絵と言うのは、ただ線を引いて色を置いただけの、静物絵じゃないのに何故か動いている感じがなかったり、つまり絵の中のキャラクターが"死んでいる"絵の事である。
「動いている絵」のはずなのに躍動感が無かったりするのは大抵死んでいる絵であって、こういうのは体のどこかにおかしい点があったり、そのキャラクターの体の状態から見て、通常動いているはず場所が何故か動いていなかったりする。一概には言えないが。
でもたまーに明らかにおかしい点は無くて、ちゃんと描けているはずなのに死んでいる絵があったりする。その辺はよくわからない。背景とのミスマッチだったりするのかもしれない。

では、生きている絵を描く為にはどうすればいいのだろうか。
絵と言うものは大概、何かの一コマを切り取ったある意味写真のようなものである。
写真と違うのは、写真は光の反射等で、一コマを完璧にそのまま写すものであるが、絵は作者がわざわざ一コマを描き出す点にある。
つまり、静物画でもない限り作者の想像力が多分に必要なのだ。この想像力が最も不可欠なものだと自分は判断する。これは何故か?

絵を描く時に用いるのは一枚の紙であり、これは物を二次元的にしか表せない事を示している。しかし、現実に存在するものは大抵の場合、三次元である。この差は如何ともし難い。
ここで考えるべきなのは、自分らは写真を見た時に何故三次元的な見方をする事が出来るのか、である。
その答えは陰影だ。自分らは、被写体の陰影を頭の中で自動的に処理する事により、頭の中に三次元の空間を作り出し、そこに立体的な物体を配置する事で、二次元である写真を三次元的に捕らえる事が可能なのである。
また、この二次元を頭の中で三次元に直す、と言う処理が出来ない人が実は居るのである。これは決して障害者などではなく、例えば写真などとはまったく無縁の生活をしている人々、例えば外界とほとんど関わりを持たず生活しているような何処かの原住民の方々は、写真を見せても、それが何を表しているのか理解出来ないのである。それは彼らが二次元を頭の中で三次元に処理すると言う訓練をしていなかったからである。

さて、ここで今までの話を整理してみよう。
まず絵は二次元的な物体である紙、もしくはそれに類似する平面的な物体に描かれる。
二次元の写真を三次元的に捕らえる事が出来るのは陰影を頭の中で処理しているからである。
この処理の訓練をしていなかった人々は二次元の絵を三次元として捕らえる事が出来ない。

自分が何を言おうとしているのかわかった勘のいい人も居るだろう。
つまり、だ。逆に考えてみればいい。
三次元を二次元として捕らえる訓練をして、頭の中で三次元の陰影を二次元的に処理すれば、

平面に立体を描く事が出来るのだ。

すなわちこれが想像力。絵を描く為に最も必要とされるスキルなのである。





この辺で手を止めて暴露してみる。
何当たり前の事つらつらと書いてるのか意味不明
今回も一番最初に言った事と最後に言った事が違うし
まぁつまり当たり前の事をもっともらしく書いてみただけ。でもある意味正しいんじゃないかと少しは思ってる。言わなくてもわかるだろうけど、要約すれば、練習しなきゃ上手くならないのですよ。
それだけ


time stamp:2006/10/08 16:48:21
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何かしら