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自治会
今週末に大学の学祭があって、それの何とかコンテストに出場予定なのですが、昨日説明会があったわけですよ
で、その場の雰囲気とか、明らかな身内ノリだった訳ですよ
その中で一人味方ゼロの状態で説明を聞いてた訳ですよ
しかも出場者に自治会メンバーとかも居る訳ですよ

導き出される結論は一つ



この人達どうせ審査員とか投票権限持ってる模擬店代表者とかに既にネマワシ済みだろorz
一番問題なのは入賞賞品が賞金だと言う事で、コンテストやったからとか言って自治会予算で出来た賞金を自治会以外の人間に誰が渡すかというノリの元コンテストをやっている気がしてなりません
実際には違うのかもしれませんが
いや、賞金要らないから公平に審査してよ。うちが欲しいのは金じゃないんだってばorz
と言うか何で一般参加者に投票権が無いんですか?おかしくね?
後、何で着替えの様子なんて見せなきゃいけないんですか…orz
いや、だってさ……って、おっと、口を滑らせる所だった(謎
まぁ、あまりに本気過ぎて引かれるのは別にいいんですよ。衣装代に合計ん万かかったとか、それに対して自治会が5000円しか予算出せないとかね
そんな事は別にいいんですよ。もう趣味の範囲内ですから!(マテ
ああもう暴露しますよ。いいでしょ別に
学祭でチヤホヤされたいんですよ!!
うわあああんもう誰も信じられないー
・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚(ノД`)・゚・。ウワァァァン


time stamp:2006/11/02 14:14:15
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書き足りない
この前隣の研究室の人からこんな事言われたけど、それから色々と考えたりしたかもしれないので手が導くままに吐き出してみようと思う

最初に、「味=オリジナリティ、その人らしさ」と解釈している事を明記しておく

確かにまぁ味がある絵ってのはなかなかなくて、味のある絵を描く人と言うのはレアな存在。だからこそ、そういう人はそこまで上手でなくても、その人の絵を見たら
「あぁ、これはあの人が描いた絵か」
と、すぐにわかってしまう。つまり、名前が売れてしまう
多分こういったその人らしさ、オリジナリティが、多くの人を惹きつけ、上手な絵描きさん、プロ絵師、神、とか呼ばれるようになっていく。
しかもその過程で更に絵描くからもっと上手くなる

ではそのオリジナリティはどうやって育てていけばいいのか
記事を読んで真っ先に思ったのだが、最初から味のある絵、つまりオリジナリティを持ってる人なんて居ないのである。多くの場合、絵を描いてるうちに自分の絵が、ある点に向かって収束していき、それが自分の絵になるのが大半である。途中で強引に絵柄を変えたりする人も居るし、永久に収束しない人も居るけども
だからつまり、オリジナリティなんてものは後から沸いてくるものだと自分は考える
まず絵というものを描き始めるにあたって、最初から上手く描ける人なんて居ない。大抵の場合、何かを参考にしながらそれをスケッチ上に写し取っていく作業から入ると思う。何故か。それは以前書いた通り、立体物を平面に直した時の構図の引き出しが出来ていないからである
じゃあ何故その引き出しが必要なのかと言うと、絵に説得力を持たせる事が必要だからである
説得力のある絵と言うのは、不自然さがあまり無い絵のこと。誰だって、見ため的な手の長さが違えば「なんだこれは。下手だなぁ」と思うはず。もうちょっと具体的な点を言うと、肩の接続、腿と脛の接続部である膝、お腹の厚み、手と顔の対比、かかと等のほか、結構色々と挙げられる
これらの点がおかしいと、本当に、下手な絵にしか見えないのだ。例外として、これらを理解した上で、敢えてバランスを崩す手法も存在するが

つまりオリジナリティというものは、説得力のある絵の上に初めて成り立つものであるから、説得力はあるけどオリジナリティの欠片も無い絵と、オリジナリティ溢れる絵柄だけど説得力が無い絵では、前者の方が確実に上手だ。と言われる。某池上○等はいい例だ(ファンの人ごめんなさい)

ごちゃごちゃ書いてて何言ってるかわからなくなった気がするけど、最終的に何が言いたいのかと言うと
味のある絵っていうのはそれだけを目標にして描けば描けるようなものじゃない。長年の経験の積み重ねが自然とその人の描く絵に味を付加させていくものなのだ。しかし、故意に自分の絵に味を出そうと思うならば、それはとりあえず最低限説得力のある絵が描けるようになってからじゃないと破綻する
ということ

手の形くらい自分の手を見ればささっと描けるくらいにはならないとね…


time stamp:2006/10/22 01:29:30
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院試















time stamp:2006/10/15 14:59:32
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いつも思う
絵ってのは生きている絵と死んでいる絵がある
生きている絵と言うのはたとえ一部におかしい場所があったとしても、絵の中のキャラクターに命が宿っていて、何かの拍子に動き出しても不思議がないような、そんな素敵な絵の事である。
逆に死んでいる絵と言うのは、ただ線を引いて色を置いただけの、静物絵じゃないのに何故か動いている感じがなかったり、つまり絵の中のキャラクターが"死んでいる"絵の事である。
「動いている絵」のはずなのに躍動感が無かったりするのは大抵死んでいる絵であって、こういうのは体のどこかにおかしい点があったり、そのキャラクターの体の状態から見て、通常動いているはず場所が何故か動いていなかったりする。一概には言えないが。
でもたまーに明らかにおかしい点は無くて、ちゃんと描けているはずなのに死んでいる絵があったりする。その辺はよくわからない。背景とのミスマッチだったりするのかもしれない。

では、生きている絵を描く為にはどうすればいいのだろうか。
絵と言うものは大概、何かの一コマを切り取ったある意味写真のようなものである。
写真と違うのは、写真は光の反射等で、一コマを完璧にそのまま写すものであるが、絵は作者がわざわざ一コマを描き出す点にある。
つまり、静物画でもない限り作者の想像力が多分に必要なのだ。この想像力が最も不可欠なものだと自分は判断する。これは何故か?

絵を描く時に用いるのは一枚の紙であり、これは物を二次元的にしか表せない事を示している。しかし、現実に存在するものは大抵の場合、三次元である。この差は如何ともし難い。
ここで考えるべきなのは、自分らは写真を見た時に何故三次元的な見方をする事が出来るのか、である。
その答えは陰影だ。自分らは、被写体の陰影を頭の中で自動的に処理する事により、頭の中に三次元の空間を作り出し、そこに立体的な物体を配置する事で、二次元である写真を三次元的に捕らえる事が可能なのである。
また、この二次元を頭の中で三次元に直す、と言う処理が出来ない人が実は居るのである。これは決して障害者などではなく、例えば写真などとはまったく無縁の生活をしている人々、例えば外界とほとんど関わりを持たず生活しているような何処かの原住民の方々は、写真を見せても、それが何を表しているのか理解出来ないのである。それは彼らが二次元を頭の中で三次元に処理すると言う訓練をしていなかったからである。

さて、ここで今までの話を整理してみよう。
まず絵は二次元的な物体である紙、もしくはそれに類似する平面的な物体に描かれる。
二次元の写真を三次元的に捕らえる事が出来るのは陰影を頭の中で処理しているからである。
この処理の訓練をしていなかった人々は二次元の絵を三次元として捕らえる事が出来ない。

自分が何を言おうとしているのかわかった勘のいい人も居るだろう。
つまり、だ。逆に考えてみればいい。
三次元を二次元として捕らえる訓練をして、頭の中で三次元の陰影を二次元的に処理すれば、

平面に立体を描く事が出来るのだ。

すなわちこれが想像力。絵を描く為に最も必要とされるスキルなのである。





この辺で手を止めて暴露してみる。
何当たり前の事つらつらと書いてるのか意味不明
今回も一番最初に言った事と最後に言った事が違うし
まぁつまり当たり前の事をもっともらしく書いてみただけ。でもある意味正しいんじゃないかと少しは思ってる。言わなくてもわかるだろうけど、要約すれば、練習しなきゃ上手くならないのですよ。
それだけ


time stamp:2006/10/08 16:48:21
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可愛いとか、かっこいいとか
これは愚痴です
話があっちこっち行きますが何の問題もありません

可愛い人とか、かっこいい人とかを描くのは難しい
でもどんな風に描けば可愛かったりかっこよかったりするのだろう
プロの絵とか見て、ああ可愛いなぁこれやばいなぁとか、何これかっこよ過ぎとか思うけど、何でそう思うのだろう
まず絵とかを見る場合に最初に目が行くのは顔であり、まずその辺から見ていってみる
最初に目を引くのは多分目で、大抵の絵はリアルっぽい目じゃなくて、しかもデフォルメでもなくて、よくよく考えて見てみると目とは似ても似つかない物を見て、"目"だと認識する
これは大体描く人によってそこそこ違っていて、ここだけで描いた人を区別出来たりもする
この部分が下手な人は、描いたものを反転してみると何だかありえない目になってたりする。更に結構陥りやすいのが、正面とか、逆斜めから描いたりすると、全然描けなかったりする
そしてそれを反転して見ると目も当てられない状況だったりする

次が髪の毛かな。髪の毛は、髪の毛の束をかなり大きめに取る場合と、結構細くとる場合があるかも。でも明確な区分けなんて出来ないのだけども
それが、不自然無く髪の毛を重力方向に流して、前髪と後ろ髪の間にあるはずの脇に流れてる髪を…どうしてるのだろう。ちゃんと描けてると自然に見えるのかなぁ。そしてやっぱり不自然さが無いのが鍵なのだろうか
んで、これに光が当たる方向を考慮して影と光の反射のハイライトとか入れていく
何が自然で何が不自然なのかかなりわからなくなる
とりあえず不自然に見えたら既にアウトなの?

何か思いついたので別方向へ走ってみる事にする
そういえばいつも思っていた事は、身体(裸)のバランスが取れていれば割と綺麗に見えるって事だった。毎回毎回神絵師の絵を見る度に"うわ何これありえねー何でこんなに上手く身体描けるのおかしいんじゃね"とか叫んだり凹んだりしていた気がする
つまり描く過程において、身体のバランスが重要なのだろうか
最近の自分の描き方としてアタリ取って裸ラフ描いて服を着たラフ描いてそれをクリンナップしていくと言う事をしている。これがいいのか悪いのかは知らないが
確かによくよく考えると身体のバランスは大事な気がしてきた。いやむしろ何で今まで忘れていたんだろう
つまりは適当にまとめっぽくしてみると、可愛いって事は女の子特有の身体の凹凸とかをしっかり把握していて、かつ不自然のないように描けて、更に魅力があるようなデフォルメがされているって事?デフォルメってのはつまり頭身は高過ぎずに胸は適度に膨らんで腰周りは綺麗にくびれてお尻は適度に大きい感じ?何か違うような気がする
それとこの前まで練習してたのが、各パーツの接続か。例えば腰から太股の接続とか肩から二の腕の接続とか。でも肩周りって動きまくるし、それに伴う形の変化が大き過ぎるから一概には描けなくて、だから……どうしたんだっけ。確か肩以外から無理に肩+二の腕を接続してるような気がする。だから未だに変なのか?

で、この考え方から行くとかっこいいってのはこのバランスがかなり取れている状況で身体を自由自在に動かして描けるって事にあたる
それと、周囲の環境とか見ながら、裸に付け足すべき服飾をきちんと描けていると相乗効果でもっとかっこよくなりそう。しわとか、風による服のふくらみとか
しわは未だに全然ダメ。しわっぽいのは描けるけどまだ自信を持って線が引ける訳ではない
しわと言うのは元々平面に直せるような服を体積があるような人間が着て、なおかつ内部の人間が動く事による布の形態変化に伴って発生する
例えばYシャツならしわの出来やすいポイントがあって、そこが現在どういう状況になっているかを考えながらしわを入れる。少なくとも自分はそうしている。上手くはいかないが
それでやっぱり服のバランスが矛盾してたりするとおかしいよね

今日はこんなところにしておく
いつかまた口から漏れるかも


time stamp:2006/08/04 06:00:56
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カメのように遅いorz
順調に進んでると思ってたら何を勘違いしたのか、全然そんな事はなかった
とりあえず10日までは缶詰だろう。多分
一応テストもあるんだけどなぁ
と言うか今回ホントにボロボロだよ…
この時期なんとかならないものかね


time stamp:2006/08/02 14:35:52
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うわあああ
某所お絵描き掲示板で描いてたら誤動作で全部消えた

|黄泉| λ............


time stamp:2006/07/31 02:33:45
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何かしら